31 とうとう鎌倉幕府が・・、の巻

 鎌倉時代の後半になると、元が二度にわたって日本を攻めてきたそうじゃ。 文永の役(ぶんえいのえき)と弘安の役(こうあんのえき)だそうな。この二度の襲来を、元寇(げんこう)という。 しかし、元は二度とも、御家人の活躍と暴風雨で敗れたんだと・・。 この戦いで、大きな犠牲をはらった御家人は、満足に褒美をもらうことができなかったそうな。外国と戦ったため、幕府は敵の領地を没収することができず、恩賞を与えるこ...

29 祇園精舎の鐘の声、の巻

<鎌倉文化> 武士の気風にあった、素朴で力強い文化。 文学では、和歌の『新古今和歌集』、吉田兼好(けんこう)の随筆『徒然草』(つれづれぐさ)がある。『平家物語』は、平氏の繁栄から没落までをえがいた。 建築では、東大寺南大門があり、そこに運慶(うんけい)らが制作した彫刻の金剛力士像(こんごうりきしぞう)がある。平家物語 夢を追う者 (講談社青い鳥文庫) [ 時海結以 ]価格:669円(2017/8/20 23:01時点)はじめ...

28 生活は向上したけど、何だか不安、の巻

 鎌倉時代の農業は、牛馬や鉄製の農具がさらに普及し、米と麦の二毛作(にもうさく)も行われるようになったそうな。 二毛作というのは、同じ土地で2つの作物を作ることをいう。米を収穫したあと、麦を植えたりすることじゃ。 農具を作る鍛冶屋(かじや)や、染め物を行う紺屋(こんや)などの手工業者が現れ、商品を売るために、寺社の門前や交通の便利な場所で、定期市が開かれるようになったとさ。 産業が発達することで、...

27 幕府は強いぞ、の巻

 京都で院政を敷いていた後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、源氏の将軍が殺害されたことを知ると、政権を取り戻すために戦いをいどんだそうな。 この戦いのあと、幕府は朝廷を見張るため、京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)という職を置いたそうじゃ。 これによって朝廷の力は弱まり、幕府の力がますます強くなっていったとさ。 幕府は、武士の土地の争いについて、裁判の基準を示した御成敗式目(ごせいばいしきもく)を...

26 将軍と武士の関係、の巻

 将軍と御家人(家来)は、御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)の主従関係で結ばれる簡単なものだそうな。 御恩とは、将軍が御家人の領地を保護したり、新しい領地を与えたりすることじゃ。その御恩に応えて、将軍のために戦うことを奉公という。 このような土地を介した主従関係の社会のしくみを、封建制度といったとさ。 源頼朝が亡くなると、源氏は3代、わずか30年ほどで滅びたそうな。 代わりに執権(しっけん)という地位...